DSC_0428_2

第15回「インパクト」

2013/10/02

今回の参加者は、メンバー4名、スタッフ1名です。

まずはE氏からです。よく散歩にいく尾久の原公園の土からダイオキシンが基準値を越えて検出されたとのことで全体が封鎖されていたそうです。旭電化工業尾久工場があり、その影響があったようです。また、その件と繋がりがあるかどうかは不明ですが、近所の知人のお婆さんが、体操をしており、転倒し、頭をかすり傷を負った際、そのまま意識不明となったそうです。破傷風菌が頭の傷から侵入し、医師は助からないと言っていたそうです。ところが半年後、「家に帰る」と言って、飛び起きて蘇生。そのまま歩いて帰ったそうです。半年間、寝たきりだったため、足の筋力の衰え、片目の視力低下があったそうですが、奇跡的なことです。コウモリと一晩過ごしたりしたこともありますし、E氏の周りでは奇跡が起こりやすいのでしょうか。

それから、交番で、銀行の位置を聞こうとしたら、「知りません」の一言で終わった話を記載しています。クリニックの近く(荒川区)の交番で、台東区の銀行を聞いたら、「何を聞いているのですか?ここは荒川区でほかの地域のことはわかりません。以後、常識を持って聞いて下さい」と言われたとのこと。怒るのを通り越して、日本の治安は大丈夫かなと思ったそうです。

DSC_0031_2

続いてA氏です。田舎医者に「ディープインパクトを受けた」とのことで、文章ではなく、イラストで表現しています。浅草でアーティストが集まるイベントがあり、参加してきたとのこと。A氏の好きなグラフィティアーティストが多く参加していたようで、「千住フレッシュ八古屋ナイト」というそうです。お金がなかったので、5分くらいしかいなかったそうですが、タオルなどをもらったとのこと。今回は、調子が悪くて、日付印を押せない日もありましが、元担当スタッフの誕生日のお祝いコメントを記載しています。お金のことで頭がいっぱいな日には、その気持ちを表現した絵を描いています。

次にB氏です。ニュースで、「激おこプンプン丸」という言葉を知り、衝撃を受けたそうです。若い人が使う言葉のようですが、「ムカ着火ファイア」「げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム 」など怒りのグレードがあがる表現もあるそうです。お父さんが使っていたら面白いと想像し、絵を描いています。

DSC_0429_2

また、「(簡単に壊れてしまうような)砂の城を作ることを繰り返すことを出来る時点で、それは好きなことをしている」ということなのかな、と思っているとのこと。好きな事であれば、報われないけどやれる、ということなのかな、と。創作メモが続きますが、「やわらかくなるのは難しい」という記述もありました。それは「横道世之介」という映画のなかでもそれを感じたそうです。「やわらかいこと」に憧れるとともに、「フラットな状態」こそ理想だと考えているとのこと。自分自身は、トゲトゲしく人と接してしまうこともあるので、人のことをうまく吸収できないとおっしゃっています。最後に、「今はただ登ることだけを考える」という言葉とともにページを切り抜きつつ描いた絵がありました。険しい山並みに、D氏は「下りもキツそう」とコメントしています。引き続き、ロゴデザインも考えてくれており、恐縮です。しばらく筆者の作業がストップしております。

D氏、人は永遠の若さが欲しいのかと思うが、村上春樹のノルウェイの森の最後の方で、レイコさんにワタナベくんが「そのしわが素敵だ。」と言っていたのがよかった。死が待っているから精一杯生きようと思った。人と人が なぜ生かされているのか、生きていると、誰かが誰かに影響を与えて生きている、それってすごいことだと思う。自分は何者になりたいかわからないけど、それだけで生きている意味があるのかなと。デイケアの夕食を食べていて、意外と一番飽きたのは寿司。家庭料理に飽きるというのは聞いたことはない。美味しくても飽きるのか、と思ってしまった。主婦は毎日献立を考えていてすごい。週末は本当に悩む。休みの日に早起きするともったいない感じがする。何かしなきゃと思う
昔みたドラマで、バスローブ、ブランデーグラス、白のタンクトップ、今の時代だと何になるのか、ディレクター巻き、ゴシップ誌を立ち読みした。人間は人の生活を覗き見したいのかな、と思った。写真立てのイラスト。家族やカップルの写真を飾るというのがあるが、あまり理解できない。B氏いわく、ほとんどの人がやるので、ベターなのかもしれない。携帯の待ち受け画面にも、自分なら絵などを飾る。家族の写真が自分の部屋にあったら落ち着かない。写真は過去を閉じ込めたもので、時に残酷だったりするので、それを見ながら頑張るのかなあとも思う。田舎医者を持ち帰って見たそうで、その挿絵がありました。面白かった。カフカを読んでみようかな、と思った。ただ調子のいいときにしたいな、と。

DSC_0409_2

最後は梅津です。バタイユ、動物の世界では捕食するものと捕食されるものの区別はない。水の中に水があるようにある。人間の キルケゴール、連続のなかに。視覚芸術は連続性が強い。聴覚芸術は、非連続。「田舎医者」は非連続的だった。聴覚的でよかった。連続の中ではものづくりはできない。アナログは交換不可能なのものところがあって、その意味でもReborn部のノートはいいのではない。ジャン=リュック・ナンシー 自分を 本質はなく、皮膚しかない。実家に帰省しており、地元の博物館に行ってきたのでチケットを貼っています。地方の寒々しい話題ではありますが、B氏が、あまちゃんが最終回でも恐竜の骨を見つけてしまう、話で締めてくれています。